銀泉いづみけん
その昔、大陸では騎馬民族の移住生活により、割れない金属器が使われていたと推測されます。その製作技術は奈良時代にわが国へと伝わり、正倉院御物のなかに幾つか銀の器が見られます。その後、日本国内に於いて天皇家の食器や、戦国の武具の飾り等に銀が用い
られ、また、金や銅との合金も作られ、日本独自の発展を遂げました。
一般の人たちに伝わるのが、江戸元禄後期のことです。町の旦那衆が豊かとなり、職人に簪、印籠、煙管など作らせ、 町人に身近なものとなっていきます。その後明治に廃刀令が下り武具刀剣類の飾り職人たちは花鳥風月を織り込んだ花器、人事風物誌的な置物、西洋文明的な装身具類などへと、古来の技を活かしていきます。万国博覧会にも出品され、世界的に高い評価を受けました。
第二次大戦後、日本に駐留するアメリカ人が、祖国への土産にと大量の銀製品を購入しました。現在のストラップ的な小物から、装身具、食器、調味料容器、キャンドルスタンド、等などかなりの種類と量が生産販売され、これが今の東京銀器産業の発端となった次第です。
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