今から400年前の1598年慶長3年の文禄・慶長の役で豊臣秀吉に従い朝鮮に従軍した大村藩主 大村喜前は陶工 李祐慶兄弟をはじめとする陶工をつれて帰りました。彼らは波佐見の村木郷の「畑の原」や「古皿屋」「山似田」に登窯(階段状連房式)を築き、焼物をつくりはじめました。これが波佐見焼のはじまりと伝えられます。
最初のころは陶器を焼きていましたが磁器の原料となる白磁鉱が発見され、青磁や染付などの磁器の生産が盛んになりました。
その後、江戸時代後期には日本一の生産量を誇るまでになりました。当時の波佐見焼を代表するものが「コンプラ瓶」と「くらわんか碗」です。
以来400年にわたり毎日の生活に欠かせない、手頃で上質な食器を作り続けています。
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