群馬県安中市の山中に築かれた自性寺焼の職人初代(須藤勇次郎)が明治時代に益子町に移り開窯しました。その後二代目(須藤安太郎)の時代には多くの職人を抱える有数の窯元となりました。
人間国宝の濱田庄司先生が益子町道祖土(サヤド:現在の益子参考館の場所)に開窯し、益子焼は民藝運動の高まりにより雑器から民衆的工芸の美を見出され変貌していきました。三代目(須藤武雄)が、先生の御子息(濱田篤哉氏)と同級生であったご縁から師事を仰ぎ、お誘いで工房を筋向いに移しました。
先生の確立した益子焼の技法と伝統を忠実に受け継いだ民藝陶器にたずさわって参りました。
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