山口の地に居を構えた大内弘世は、多くの人を都から山口に招き、都と同じような街づくりを始め、やがて京の三条家から美しい花嫁を迎えます。しかし花嫁は遠く華やかな都を恋しがり、いつも泣いてばかりおりました。 心の優しい弘世はかわいそうに思い、都から多くの人形職人を呼び寄せ、屋敷中を人形でいっぱいにしました。 花嫁はたいそう喜び、それからは幸せに二人仲良く暮らしました。
やがて街の人々は、そんな弘世の屋敷を「人形御殿」と呼ぶようになり、やがてそのうわさは遠く都まで届くほどになりました。
その頃京で長く続いていた戦乱にあきあきしていた都の貴族、文化人、芸術家、僧侶達がその噂を聞きつけ、人形御殿があるような平和で優雅なロマンチックな土地が山口にあると、次々と多く移り住むようになっていきました。 それは華やかな大内文化が栄えるひとつの要因となり、やがて「西の京やまぐち」と呼ばれるようになりました。
そのような物語を基に夫婦仲良く並んだ昔風情の人形が作られるようになったのです。
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